世界中で起きている重要な事件、事象についての忌憚なき批判、批評の場とします。


by shin-yamakami16

何よりも「災害に強い」国を

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    3月1日フランス西部Vendée県の水害地・仏国内だけで少なくとも51人死亡


相次ぐ世界的大災害から学ぶ「教訓」
          
                                   山上 真

 中南米のハイチ、チリと、大地震の壊滅的被害が世界の人々に衝撃を及ぼしている。ごく最近では、スペイン・フランス・ドイツなどを襲った「冬の嵐」が人々を恐怖のどん底に陥れている。


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 我々の住む地球が「生きている」以上、地殻変動、気象条件の大変化などは、いかなる人智を駆使しても、及びもつかないものと看做さなければならない。人間は、それらが必然的に起こるものと考えて、齎される被害を最小限に止めるように努めるしかない。もしその努力を怠ったとしたら、それは当然非難の対象となる。

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 大災害という現実に直面して、人命の救出活動という火急の事に加えて、先ず政府・自治体がやらねばならないのは、災害後の大混乱の中で、助かった人々の安全をどう確保するかということだろう。多くの場合、人々は「水を、食べ物を!」と叫ぶのが普通であるが、チリ大地震の直後の報道では、「この子にミルクを!」と泣き叫ぶ母親の表情が印象的であった。恐らく、辺りの様子から見て、ミルクは到底手に入らない「絶望」を感じ取っているのだ。


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 南米でブラジルに次いで「軍事的装備」が優れているとされるチリが、723人の死者と、200万人の被災者を出した大地震に対応して、どれだけまともな救済活動を実施出来るかという事は、当然注目される。先の「フォークランド戦争」で、隣国アルゼンチンに敵対した軍事出動をした国が、ミルクを求める自国の母親に、何れだけ早く手を差し伸べることが出来たのか、問われるのは当たり前だ。


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            2月28日烈震と津波に襲われたチリ・Talcahuanao   


 災害後につきものの安全・「ルーター」(集団窃盗)対策として、警察・軍隊を動員して取り締まるのはやむを得ないとしても、先ず統治当局側に求められるのは、避難民に対する迅速な「物質的手当」である。直ちに飲料水・食料、そして毛布・テントなど防寒具を被災地に届けられるかどうかが、行政能力の試金石と言ってよいだろう。

 大規模災害の場合、国を超えた支援が必要なことは言うまでもない。特に、日本を含む先進工業国は、自国の災害対策だけでなく、国際的な支援態勢を充分に整えておくことが急務である。既に述べているように、中国のように、少なくとも5,000人規模の国内・国際「災害支援隊」を常時整えておくことが喫緊の課題ではないか。最近のように、ハイチの未曾有の被災の後、間もなくチリ震災が続いているのだ。それぞれに並大抵でない規模の援助が必要なのだ。

 日本でも、今や何時大地震が起こっても不思議でない時点に差しかかっているようだ。個人として、その時の用意をしておくのは勿論であるが、あらゆる段階の行政機関が、迅速に適切な動きを出来るように、態勢を整備して措かれたい。ありもしない「北の侵略」への備えで、高価なミサイルを買い込むことよりも、必ずや来る災害への備えを「十二分に」用意しておくことが、良識であり、常識というものだ。           (2010.03.02)

 


<写真> Le Monde, Libération, The Guardian, The Independent
by shin-yamakami16 | 2010-03-02 17:36