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by shin-yamakami16

公表された「新たな写真」;「原爆投下翌日の長崎」ー英国『インディペンデント』紙

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            1945年8月9日原爆投下:翌日の長崎市


'Hell on earth’ 「地上の地獄」を隠そうとした米国

                                 山上 真

 昨日6月2日付の英国『インディペンデント』紙は、新たに見つかった「長崎原爆」被災の生々しい写真を掲載しているので、ここに早速紹介しておきたい。

 今週、ニューヨークでのオークションで、長崎原爆投下後間も無く撮影された、衝撃的な映像が売りに出されるという。

 これら24枚の新たな写真は、1945年8月9日、長崎近くの軍務に就いていた写真記者*Yosuke Yamahata氏が、原爆爆弾投下のニュースを耳にするや否や、同僚の記者や画家と共に現地に赴き、翌日午前3時に着いてから撮影したものである。

 日本軍当局の「宣伝目的の為」という指示を受けて、二台のカメラを用いて早朝から黄昏時まで、合計119枚の現場写真を撮り続けたという。

 彼が書き残した原爆被災地「長崎」の様子を纏めると次の通りである。

 「引き裂かれた地面には黒焦げになって呆然としながらも未だ生きている人々があちこちに居た。それはこの世の地獄絵だった」

 「町の様相は普通の爆撃の場合と異なり、爆発と猛火で一瞬にして灰燼と化していた」


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 「救援隊や医療班・消防士たちは唯待つことしか出来なかった。生き延びられたのは,ちょうど好い立地にあった防空壕の中に居た人々だけだった」

 「周辺の医療班や消防隊は現場に駆けつけることが出来ても、辺りは瓦礫と焼け焦げた木材だらけで、どこに消火栓があるのか全く見当がつかなかった」

 「電話・電報などは通じず、救援隊は町の外部とは連絡が取れない。それは本当にこの世の地獄だった。辛うじて放射線や熱射から生き延びている人々は、目は焼かれ、皮膚は焼け爛れて垂れ下がり,棒切れに掴まり乍ら助けを求めていた」

 「爆発の翌日、長崎は8月の雲一つない空から、容赦なく強い光が降り注いでいた」

 Yamahata 氏の写真は、原爆攻撃の最も完全な記録として今なお残っているものだが、同年8月21日の『毎日新聞』に掲載された。

 しかし、米軍の日本占領と共に、厳しい検閲制度の下に置かれ、それらの写真は没収された。ただ、それらの写真のネガは何とか隠しておくことが出来た。

 これらの写真は,第二次大戦終結時に、米国憲兵によって大阪に住む一市民から没収された一冊のアルバムの中から見つかった。

 この度、その写真アルバムは2,000ドルで売りに出されるという。

 Yamahata 氏は,1966年にガンを患い、48歳という若さで亡くなった。彼の病いは、長崎での放射能被曝が原因と信じられている。

 彼の思い出は彼が映した写真の中に生きている。1952年、彼は次の様に記している。

 「人間の記憶は、年と共に、周りの様子の変化と共に、衰え易く、批判力も弱まる。しかしカメラはその当時の厳然とした実情を捉えて、どのような装飾の必要性も無く、我々の眼前に7年前の荒涼たる事実を齎してくれる」
 
「今日では長崎や広島の目を見張るような復興を前にして、過去を呼び戻すことが難しいかも知れないが、これらの写真は,当時の有りの侭の姿の、揺らぐことない証拠を我々に供し続けることだろう」


‘The Independent’

Nagasaki one day after the atomic bombing seen in newly-discovered pictures—「新発見写真—原爆投下翌日の長崎」
Japanese military photographer Yosuke Yamahata took the images showing the extent of the devastation
Antonia Molloy
Monday, 2 June 2014
Poignant images captured in the aftermath of the Nagasaki bombing are to be sold at auction in New York this week.
The collection of 24 newly discovered photographs taken by Japanese military photographer Yosuke Yamahata depicts the devastation wrought by the atomic bomb at the end of the Second World War.
Yamahata was on an assignment near Nagasaki when the bomb dropped on 9 August 1945. Upon hearing the news he took a train to the city along with the writer Jun Higashi and the painter Eiji Yamada, arriving at 3am the following day.
Having been instructed to document the destruction for military propaganda purposes, he worked from dawn to dusk, taking around 119 photographs on two different cameras.
But, unbeknown to Yamahata at the time, one of his cameras had a faulty shutter device - the images to be auctioned are thought to include 12 taken from the original negatives of this defective camera.
They show a city riven to the ground and dotted with dazed and blackened survivors.
Writing later about what he had experienced that day, Yamahata described Nagasaki as “hell on earth”.
He said: “The appearance of the city differed from other bomb sites: here, the explosion and the fires had reduced the entire city (about four square kilometres) to ashes in a single instant.
“Relief squads, medical and fire-fighting teams, could do nothing but wait. Only the luck of being in a well-placed air raid shelter could be of any use for survival.”
He went on: “Even if the medical and fire-fighting teams from the surrounding areas had been able to rush to the scene, the roads were completely blocked with rubble and charred timber. One had not the faintest idea where the water main might be located, so it would have been impossible to fight the fires.
“Telephone and telegraph services were suspended; the teams could not contact the outside world for help. It was truly a hell on earth. Those who had just barely survived the intense radiation-their eyes burned and their exposed skin scalded-wandered around aimlessly with only sticks to lean on, waiting for relief.
"Not a single cloud blocked the direct rays of the August sunlight, which shone down mercilessly on Nagasaki, on that second day after the blast.”
Yamahata’s photographs, which remain the most complete record of the atomic bomb attack, appeared in Mainichi Shimbun on 21 August.
But they were seized after the arrival of the American forces under a strict censorship policy – although Yamahta managed to hide the negatives.
These images were found in a photo album confiscated by an American military policeman from a citizen in Osaka at the end of the Second World.
The photo album is expected to fetch up to £2,000.
Yamahata died from cancer in 1966, aged just 48. His illness is believed to have been caused by his exposure to radiation at Nagasaki.
But his memory lives on in his photos. In 1952 he wrote: “Human memory has a tendency to slip, and critical judgment to fade, with the years and with changes in life-style and circumstance. But the camera, just as it seized the grim realities of that time, brings the stark facts of seven years ago before our eyes without the need for the slightest embellishment.
“Today, with the remarkable recovery made by both Nagasaki and Hiroshima, it may be difficult to recall the past, but these photographs will continue to provide us with an unwavering testimony to the realities of that time.”


*<注> 山端庸介氏:山端 庸介(やまはた ようすけ、1917年8月6日 - 1966年4月18日)は日本の写真家、従軍カメラマン。法政大学中退。英領シンガポール生まれ。
長崎市への原子爆弾投下直後の1945年8月10日に市内へ入り、被害の状況を撮影した。

* The Japan Peace Museum より
山端庸介撮影の足取り
山端は長崎駅の東約1kmの炉粕町(爆心地から南南東2.8km)の「長崎憲兵隊本部」(イメージマップ外)を出発し撮影しながら市内を北上、爆心地を通り道ノ尾駅(イメージマップ外)までの約6kmの間の状況をそのカメラに収めた。
主な撮影地域を被爆2日後に米軍が撮影した航空写真上にスポットしました。

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略歴[編集]
1917年 - シンガポールで父・祥玉、母・フクの間に生まれる。父は当地で写真スタジオ・写真材料商を営む「サン商会」の経営者。
1935年 - 父からライカを譲り受け、本格的に写真を撮り始める。
1936年 - 法政大学中退。父が経営するジーチーサン商会(サン商会を改称)にカメラマンとして就職。
ジーチーサン商会は戦時中に山端写真科学研究所と改称。1943年に東京有楽町の日劇および大阪高島屋の正面に掲げられた100畳敷写真大壁画「撃ちてし止まむ」の撮影・制作に関わったことで知られる。その後敗戦にともない解散。
1940年 - 海軍省従軍写真班員として中国大陸に赴任、以後、台湾、シンガポールなどに従軍。
1945年8月10日 - 陸軍省西部報道部の指令で、被爆直後の長崎県長崎市に入り、悲惨な状況をカメラに収める。
1945年12月 - 宮内省の依頼により『LIFE』に掲載される天皇一家の写真を父とともに撮影(翌年2月4日号掲載)。
1946年 - 春、広島・長崎を訪れ撮影。
1946年12月 - 父とともに東京築地にて株式会社ジーチーサンを再興(翌年同社社長に就任)。
1947年 - 名取洋之助らの『週刊サンニュース』に参加。
1952年 - 連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が原爆に関するプレスコードを解き、『LIFE』9月29日号(原爆特集号)に写真が掲載される(アメリカ初の被爆者写真の公開)。また彼の写真が掲載された『記録写真 原爆の長崎』が刊行。
1955年 - ニューヨーク近代美術館で開催された写真展「ザ・ファミリー・オブ・マン」に山端の原爆写真「おにぎりを持つ少年」が展示される。
同展は翌年日本の会場でも開催されるが、山端はニューヨークで展示したものとは別の、黒焦げになった少年の死体写真を引き延ばしたものを展示したため、昭和天皇の参観に際し主催者が同作品をカーテンで覆い数日後には撤去され、名取洋之助らが抗議した。
1966年4月18日 - 十二指腸癌により死去。
1995年 - 原爆記録写真の修復作業が開始。アメリカで展覧会「ナガサキ・ジャーニィー」が開催される。

長崎での撮影
山端が撮影した被爆翌日の長崎市内 / 浦上駅構内で被爆死した母子の遺体が横たえられている(市内岩川町・爆心地より約1.0km)
同上 / 放置されたトラックの前で救援を待つ被爆者たち(三菱製鋼所前・爆心地より約1.1km)
山端は1945年7月、福岡県福岡市にある陸軍西部軍報道部に徴用され、8月6日に赴任したばかりだった。8月9日、長崎への新型爆弾(原子爆弾)投下の一報を受け、軍の命令により同じ報道部員である作家の東潤、画家の山田栄二ら5人で長崎県長崎市に向う(彼に下された命は「対敵宣伝に役立つ、悲惨な状況を撮影する」ことだったという)。8月10日午前3時ごろ、長崎市郊外の長崎本線道ノ尾駅に到着、その地点で列車は不通になっていたため、焦土と化した被災地を徒歩にて縦断し、大きな被害を免れた長崎市中心部の地区憲兵隊本部に赴いた。その後再び被災地にとって返し滞在14時間で爆心地周辺など100コマを越える写真を撮影した。8月12日、フィルムを現像。当時、従軍作家だった同僚の火野葦平の勧めで写真の内容を上司に報告しなかったという。
終戦後、写真の一部が『毎日新聞』など掲載されるが、9月以降はGHQによるプレスコードにより、原爆に関するすべての報道が規制された。
写真集・関連書籍[編集]
Rupert Jenkins(ed),Nagasaki Journey: The Photographs of Yosuke Yamahata August 10, 1945(長崎ジャーニー・ 山端庸介写真集),Pomegranate,1995 ISBN 0876543603
アメリカで山端の記録写真のネガを修復し展覧会を開催したジャーナリストの編集による写真集。
NHK取材班 『NHKスペシャル:長崎 よみがえる原爆写真』日本放送出版協会、1995年 ISBN 4140802316
上記写真集をもとに制作されたNHKスペシャルのプログラム(94年8月放送)を書籍にまとめたもの。
『日本の写真家 第23巻:山端庸介』岩波書店、1998年 ISBN 4000083635
原爆写真を含め、写真家として戦前から戦後に至るまでの仕事の全貌を紹介したもの。
徳山喜雄 『原爆と写真』御茶の水書房、2005年 ISBN 4275003810
山端のほか、松重美人、土門拳、東松照明などによる「原爆写真」の系譜。
『長崎の美術1 写真/長崎』長崎県美術館、2005年
2005年4月 - 5月に開催された、同館所蔵コレクションの展覧会の図録。山端以外に上野彦馬などの作品が収録されている。
ーWikipedia より                        (2014.06.03)
Commented at 2015-12-13 10:36 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by shin-yamakami16 at 2015-12-13 14:33
羽田野次郎様
早速ですが、本ブログ掲載の原爆写真は全て英国『インディペンデント』紙上からのもので、利潤を目的としない限り、人類共有の遺産として、「公共福祉」の為に自由な使用が許されると考えられます。
故山端庸介氏の写真については、ブログ「被曝惨状写真の『著作権』」に詳しい説明がございますので、参照して下さい。

「 現行の著作権法(七一年施行)は、写真の著作権を発行後五十年とし、さらに、九七年の改正で「著作者の死後五十年まで」に延長したが、保護期間の遡及(そきゅう)措置は取られていない。したがって、日本国内では日本人の写真家の作品も、ロバート・キャパの作品でさえも、五六年以前のものはすべて著作権の保護対象にならず、無料で使用できる。」
以上、簡単な説明で申し訳ありません。
by shin-yamakami16 | 2014-06-03 12:12 | Comments(2)