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by shin-yamakami16

イングリッド・ベタンクールの解放

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期待される今後の活動
                              山上 真
 6年5ヵ月に渉ってコロンビア奥地の密林の中に閉じ込められていた。その言語に絶する心身の苦しみが如何程のものであったかは、誰でも容易に推察出来る。
 イングリッド・ベタンクールの特徴的な名前を小生が知ったのは、かれこれ4年程前のことだ。その当時は、彼女がどのような謂れがあって前述の運命に至ったのかは、関心の範囲外にあった。問題が複雑過ぎて、メディアも深入りするのを避けていた為であろう。

 中南米に位置して、スペイン植民地だった多くの他の南米国家と同様、長期に渉って内戦、政情不安を抱えてきたコロンビアは、現在も猶、麻薬密輸マフィアが暗躍する一方、極左ゲリラ、極右分子対立の狭間で、ウリベ大統領が何とか政治的安定を保っているのである。

 イングリッドは、両親が政治家の家庭に生を受けた。首都ボゴタのフランス系リセーを修了すると、父がユネスコ大使に任命された為、フランスに同行留学し、パリ行政学院で貿易と国際関係論を学ぶことになった。そこでの教授の中に、外交官出身の前首相ドミニク・ド・ヴィルパンがいて、終始友情を深めることになった。
 
 フランス人と結婚したイングリッドはフランス国籍をも持つことになったが、コロンビアでの大統領候補暗殺事件を契機に、人権擁護、政治的不正・腐敗・麻薬撲滅の為の闘いに参加するべく、1989年帰国を決意する。

 1994年の衆議院選挙に自由党から出馬し、多くの投票を得て当選した。当選後は、公約通り、汚職告発、特に政治家と麻薬密売人との繋がりを告発することに献身的努力を続けたが、1996年に暗殺の脅迫を受けるようになった。

 自由党を離れて、「緑と酸素の党」を1998年に立ち上げた彼女の政治活動は、しばしば、国会でのハンガーストライキ、エイズ撲滅の為にコンドームを配るといった、直接行動の形を取って国民的人気を勝取り、そのことが、参議院選挙での15万票という得票に繋がったとされる。

 当時の大統領アンドレス・パストラーナと、左翼ゲリラ組織 'FARC' との政治交渉が頓挫する中、大統領選挙に立候補していたイングリッドは、自らの政治生命を賭けて、対ゲリラ戦闘地域に進入したが、2002年 2 月23日、政府軍の警告にも拘らず前進を続け、間もなくFARCに拘束されて行方不明になった。

 FARC(コロンビア革命軍)は自由党系の武装農民組織から出発し、現在も中南米最大の反政府武装勢力であり、一時はコロンビアの3分の1を実効支配する程だった。その主張は、大地主・教会・資本家が独占している政治を打倒すること、土地改革、富の再分配である。1984年には政府との和平交渉に応じて、合法的政党を創設したが、議員、指導者が相次いで暗殺され、地下活動を再開した。このFARCが、カストロの率いたキューバ革命軍などと異なる問題点は、麻薬マフィアと結びついて闘争資金を得ているとされる事である。

 
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 イングリッド・ベタンクールは、「政府軍のトリック作戦によって」、一発の銃弾も発せられない中、他の14人と共に救出されたが、余りの手際の良さに疑問も出て、スイスのラジオ局は早くも、2000万ドルの身代金と引き換えに解放されたという報道を流している。勿論、これは、コロンビア政府、フランス側も共に否定しているのだが。

 イングリッドは、パリでの記者会見で、現在もなおコロンビアで拘束されている人々の早期解放を訴える一方、「ミャンマー」軍政によって自宅軟禁されているアウン・サン・スーチー女史などとの国際的連帯を表明した。更には世界情勢に就いても言及し、
 'Très simplement, je veux changer le monde. Nous devons faire les choses autrement.' 「ごく率直に言えば、私は世界を変えたいのです。私たちはこれまでのやり方を変えなければいけないのです」と、意味深長な主張を披露したことが極めて興味深い。恐らく、拘束生活の中でも、一定の情報が得られていて、それを基に、思索が深められたのだろう。
 これからの彼女の生き方に強い関心を寄せずにはいられない。

 
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<写真は Le Monde 紙掲載のもの>

 

 
 
 
by shin-yamakami16 | 2008-07-07 15:03 | Comments(0)