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by shin-yamakami16

仏大統領選挙戦:オランド対サルコジ「直接対決」の決算は?

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          5月2日テレビ局TF1「オランド・サルコジ討論」会場


「攻撃的」に転じたオランド優勢か:「社会主義・フランス」復帰の高まる足音

                                  山上 真

 先日の仏大統領選挙・第一回投票では、僅か1%余りの差で大方の予想通りオランド社会党候補が第一位(28.6%)、次いで現大統領サルコジ候補が二位(27.2%)という結果に終った。第三位は、烈しい争いを続けていた「極右」マリーヌ・ルペンと「左翼」メランション候補の「鍔迫り合い」と見られていたが、結局の所、17.9% の得票で前者が約11%得票の後者を退けた。改めて、フランスに於ける極右勢力の支持基盤の強さを印象付けた形だ。

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 今朝4時過ぎ(日本時間)から、仏大統領選挙を戦うサルコジ・オランド両氏のテレビ討論が 'France 2’ と'TF1’の共同主催で始まった。筆者は、たとえ早朝だとしても、仏大統領選挙での唯一の二候補間の「直接討論」を見逃す訳には行かず、慌てて起きて、階下のテレビをつけたが、当てにしていた ’TV5 Monde’ では「対決」‘Confrontation’ というタイトルで、「どういう具合の直接討論になるのだろうか」という番組をやっている最中で、肝心の「討論実況」中継は放映されていなかった。こりゃ困ったと思い乍ら、PC で ’RFI’(仏国際放送)や ’Radio France’ の ’France Info’ といったラジオ番組を試してみると、後者のチャンネルから漸くサルコジ氏の、例の「説得調」の音声が聞こえて来てほっとした始末だ。

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          討論会場に入るオランド候補と「妻同伴」のサルコジ候補


 オランド候補がサルコジ候補提案の、ラジオでの「直接討論」を断っていた事実や、日頃の彼の「おっとりした」話し振りから、「直接対決」ではややオランド氏が不利な立場に置かれるのではないか、という懸念が筆者にもかなり有った。これまでの選挙戦で有利な戦いを進めて来たオランド氏が、今回のTV 討論で、サルコジ氏の「狡猾さと雄弁」の為に、一挙に形勢が覆される恐れが、筆者にも在ったし、仏一般メディアでも囁かれていたに違いない。

 しかし、実際はまるで違っていた。サルコジ氏のいつもの「アグレッシブ」(攻撃的)な口調に対して、また現職者の強みである「数字」を駆使した「口撃」に対して、時に過剰とも思われる口調で反撃を行っていた。恐らく、このオランド氏の強い調子は、サルコジ氏の予想を超えたものであっただろう。

 例えば、討論終末近くでの ‘Moi président de la République,…’ (大統領としての私は…)で始まるオランド氏の「政策披瀝」の段では、一体どちらが現職大統領なのか分からない雰囲気を一瞬醸し、サルコジ氏も反論の言葉を失った様子だった。

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        5月2日仏中西部「Bugey原発」に侵入するGreenpeace「戦士」


 この討論では、経済・移民・原発問題が主要な論点となったが、サルコジ氏は、移民問題での極右票獲得を意識した「強腰」発言が大方の「仏愛国心」をくすぐることに成功したものと受け止められる一方、「失業率10% 」高止まりの経済政策の失敗、加えて「原発推進」策は、昨日発生した*「グリーンピース原発侵入」事件の直後だけに、説得力が薄弱だったようだ。

 オランド氏は、「フクシマ」事故を重く受け止めて、既に操業開始から30年以上経過している仏最初の「フッセナイム原発」を5年間の任期中に廃棄し、2025年までにフランスでの原発を半減させるという方針を明言したが、「グリーンピース侵入」事件は、原発そのものの事故の蓋然性に加えて、起こりうるテロ攻撃に極めて弱いことが証明された結果、同氏の「原発依存」脱却の主張を補強するものとなった。
 対するサルコジ氏は、フランスが「フクシマ」とは違い、「ツナミ」とは全く無縁な国であるが故に、幾ら原発を増やしても安全だと言うのだが、隣国ドイツが日本の事例を受けて、「原発全廃」の方針を貫いているだけに説得力は弱かった印象だ。

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 外交問題では、アフガン戦争へのアプローチの仕方が対照的だった。サルコジ氏が「タリバン勢力の暴虐を阻止する為に犠牲を払っても、オバマ米大統領との協力関係を維持する」として、2013年末までのアフガン駐留を主張したのに対して、オランド候補は、NATO軍の作戦は、ごく最近の現地での「自爆テロ」頻発などの混乱を見れば、失敗が歴然としており、これ以上の仏軍兵士の犠牲を払う価値はないとして、今年末までの仏軍撤退を明言した。

 仏全土で1780万人の視聴者が見たという今日の「TV論戦」については、先ず、この30年来最も劇しいものだったというのが一般的評価だ。候補者については、’Le nouvel Observateur’ 誌が時間的推移に依るツイッター投票で、最初はほぼ同じ線を描くが、議論が進むにつれてオランド候補がかなり上位になり、後半一時サルコジ候補が追い越すものの、最後部で再びオランド候補が優位に立つというグラフを示している。また、やや「サルコジ派」と見られる’le Parisien’ 紙の、「どちらが最も説得力があったか?」という質問のネット調査では、実に66.6% の人々がオランド候補に軍配を挙げており、サルコジ候補は34.4% である。
 ’Le Monde’ 紙は、論説委員の評価として、「五分五分の対戦だった」が、「オランド候補の好感度は保たれた」とする控え目な判定だ。

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              「中道」バイルー氏と語るオランド候補


 オランド候補については、元候補の「左翼同盟」メランション氏と「環境保護」エヴァ・ジョリー女史が第二回投票での支持を表明している。サルコジ候補については、「極右」マリーヌ・ルペンが「白票を投じる」ように呼びかけており、こちらからの大きな支持は望めない状況だ。「中道」MoDemのバイルー元候補は現段階まで、次の選挙での支持候補者を決めていないが、彼の支持者の多くはオランド支持に回ると見られている。
 サルコジ候補が「極右票」を得る為に移民問題などでルペンに近づいていることは、同じ保守系元大統領候補ドミニク・ド・ヴィルパン氏を始めとする与党・国民運動連合(UMP)の人々にも懸念を抱かせている。

 さて、この6日の第二回投票の結果はどんなものになるか、世界の人々が「固唾を呑んで」見守っている。経済活動の過度の放任を齎す「新自由主義」が蔓延る中で、それに歯止めを掛けようとする欧州中心部での「大変化」は、恐らく「世界史的な意義」を持つものになるに違いない。 (2012.05.03)

*<注> 5月2日仏中西部Bugey、中東部Civauxの二か所の原子力発電所で、国際環境保護団体「グリーンピース戦士」が、「いかに原発が空からの脅威を受け易いか」を証明する為に、前者ではパラグライダーで施設上空から侵入し、爆弾代わりに「発煙筒」を施設ドームで焚いて赤い煙が上がった。後者では、貨物運搬車が入所する隙に侵入して、14 時間後にやっと拘束・訊問された。いずれの例でも、如何に原発がテロなどの危険性に無防備であるかを示している。


                     <追記>
1. 中道MoDem のバイルー元大統領候補(第一回投票で9%の支持票獲得)は、昨日3日の記者会見で、「サルコジ・オランド討論」を受けて、「サルコジ氏が極右に接近していることを深く懸念する」として、「自分としてはオランド氏に投票する」と述べた。但し、MoDem支持者は、「自己の良心に基づいて自由に投票する」ことを求めた。これまでバイルー氏は、第二回投票で左派連合への投票を呼びかけたことはなく、「白票」を投じていた。今度のバイルー声明は極めて異例で、サルコジ氏への打撃は大きなものと受け止められている。 (2012.05.04)

2. 2日の「サルコジ・オランド討論」直後に実施された各種世論調査が示す所に依ると、説得力・誠実さ・好感度などの点でオランド候補がサルコジ候補よりも4〜20ポイント上回っていることが明らかになった。また、討論会翌日の CSA 調査では、オランド53%、サルコジ47% という支持率になっている。 (2012.05.04)

3. 昨日3日のラジオ局 'France Info' が伝える所に依ると、チュニジアで投獄されているリビア元首相Al-Baghdadi Al-Mahmoudi 氏は「故カダフィ大佐が 2007年の仏大統領選挙の際に、サルコジ氏に対して5,000万ユーロ(約54億円)の選挙資金を供与した」と述べたという。この様な情報は幾度か既に流されているが、サルコジ氏は「真っ赤な嘘」と述べている。 (2012.05.04)

4. 昨日5月5日付の『ニューヨーク・タイムズ』紙は、「フランスでの競走では、カメが独自のペースで進む」というタイトルで、辛くも現職サルコジ大統領に勝ちそうな社会党・オランド候補の生い立ち・人柄などを詳しく紹介している。彼が極右の父と社会事業家の母の間に生まれたこと、1968年の「パリ五月革命」に衝撃を受けて社会民主主義者としての道を歩み始めたこと、彼が「革命派」ではなく、「調和と実利主義」を好んで語ることなどを紹介している。
 今日6日の仏大統領選・投票は順調に進んでいる様だが、現地正午時点での投票率は約30.66% で、2007年選挙の34% より低くなっているという。このことが何を意味するのか、興味深い。例えば、極右「国民戦線」(マリーヌ・ルペン)の方が、「サルコジへの支持」を拒否して、棄権に回っている可能性があるからだ。 (2012.05.06)


<写真> Le Monde, Le Figaro, RFI, France Info


                <参考資料>

1. 5月3日付『ル・モンド』紙ー「対決は互角:オランドは終始本命の位置を維持した」

Élection présidentielle 2012

"C'est un match nul : Hollande partait en position de favori, il le reste"
Le Monde.fr | 03.05.2012 à 01h01 • Mis à jour le 03.05.2012 à 01h29

Par Michaël Szadkowski

Dans un chat au Monde.fr, Françoise Fressoz, éditorialiste au Monde, livre son analyse du débat radiotélévisé entre François Hollande et Nicolas Sarkozy, mercredi 2 mai.

Never33 : Qui a gagné ? Comment jugez-vous la prestations des candidats ?

Françoise Fressoz : Difficile de répondre à la question, car il n'est pas certain que le débat fasse bouger les lignes chez les indécis. Il a été globalement très technique. Mais ce qui a le plus frappé, c'est de voir que François Hollande ne s'est jamais laissé dominer par Nicolas Sarkozy.

Il faut voir quelle était la stratégie des deux candidats. M. Hollande avait besoin de montrer qu'il maîtrisait ses dossiers, qu'il avait la stature présidentielle, qu'il pouvait incarner justice et redressement. C'est en fonction de ces trois impératifs qu'il a conduit le débat. A chaque fois que M. Sarkozy essayait de lui asséner un chiffre, il ripostait.

Comme M. Sarkozy voulait se placer en position du maître par rapport à l'élève, comme l'avait fait Valéry Giscard d'Estaing face à François Mitterrand en 1974, M. Hollande a réagi : il a contesté les chiffres et les raisonnements de M. Sarkozy, pour ne pas se laisser piéger. Cela n'a pas forcément donné un débat très compréhensible, mais cela a permis au candidat socialiste de ne jamais se laisser dominer.

M. Sarkozy, lui, s'était fixé comme objectif de "débusquer" son adversaire, dont il ne cesse de dénoncer l'art de l'esquive. Il a cherché toutes sortes "d'alliés" pour mettre en difficulté M. Hollande : il est allé chercher Manuel Valls, le directeur de la communication de son rival, sur la TVA Sociale, Martine Aubry sur le contrat de génération, il a aussi cité Laurent Fabius... Il voulait vraiment mettre en difficulté M. Hollande sur ses convictions.

Mais il n'a, je pense, réussi à le faire que sur la partie immigration, lorsqu'ont été évoqués les centres de rétentions. M. Hollande a eu du mal à expliquer s'il voulait les maintenir ou en faire une exception. C'est la seule fois où il a été vraiment en difficulté. Mais à chaque grande étape du débat, M. Sarkozy a utilisé la même technique : essayer de faire apparaître M. Hollande comme une personnalité sans beaucoup de convictions. Il a par exemple essayé sur le nucléaire, mais là, M. Hollande s'est beaucoup mieux défendu.

Doc : J'ai le sentiment que M. Sarkozy ne s'attendait pas à un François Hollande si combatif, ne l'a-t-il pas sous-estimé ?

Je pense que M. Sarkozy a fini la campagne en se rendant compte qu'il ne fallait pas sous-estimer M. Hollande. Il avait une difficulté fondamentale dans ce débat : il lui fallait gommer le côté agressif qu'il avait manifesté la semaine dernière pour tenter de récupérer des voix à Marine Le Pen. Car il savait bien qu'en face de lui, il aurait un candidat qui jouerait le rassemblement dès le début du débat.
<以下省略>
Michaël Szadkowski

2. 5月5日『ニューヨーク・タイムズ』紙 ー「仏での競走では、カメが自分のペースで進む」

The New York Times

May 5, 2012
In French Race, the Tortoise Sets His Own Pace
By STEVEN ERLANGER
PARIS — François Hollande, the 57-year-old favored to be elected narrowly on Sunday as France’s president, is no revolutionary. He likes to talk of “harmony” and “pragmatism” and often quotes the poet and politician Aimé Césaire about “lucid hope.”

With a father on the far right and a social-worker mother, Mr. Hollande grew up on the edge of the 1968 protests that nearly overthrew the French government. They shocked him, but also politicized him, he said in a recent interview, making him understand that change was possible even in the France of Charles de Gaulle.

“I’ve never been a revolutionary, I never thought that the street, the social movement, could overthrow the established order,” Mr. Hollande said. “I have always thought like a Socialist, a social democrat — like a democrat, also. What we had to change, we must first convince the people themselves.”

One of his closest friends, Jean-Maurice Ripert, a diplomat, said that Mr. Hollande “is someone serious, even obstinate, and we knew you had to fight for things in the long term.”

The one and only Socialist president of France, François Mitterrand, left office 17 years ago. Yet Mr. Hollande appears to be on the cusp of winning what can seem like a lifelong battle, having told friends at age 15 that he expected to become president.

Still, he can seem a most unlikely heir to the republican throne of de Gaulle or Mr. Hollande’s model, Mr. Mitterrand, whose gestures he channels. Charming and convivial, Mr. Hollande has always been a man of the second rank, an adviser to more compelling and powerful figures.

A Socialist rival, Laurent Fabius, once compared him to a “fraise des bois,” a fragile woodland strawberry, and said he was a man best suited, like a waiter, to “pass the dishes.” There have been many insults, all suggesting that Mr. Hollande, who liked his cheese and chocolate, was “soft,” without convictions or backbone.

But he has persevered, overcoming numerous slights and humiliations, transforming himself in ways that have surprised many, including the current president, Nicolas Sarkozy.

“I didn’t come to the first rank either by chance or by obsession,” Mr. Hollande said in the interview. “I got there because I put myself in this situation, and because I deserved it.”

If the fables of Jean de La Fontaine are among France’s greatest cultural treasures, forming the minds of countless children, Mr. Hollande is a fine example of the virtues of the tortoise, not the hare; the ant, not the grasshopper. He has shown diligence, patience and quiet calculation in rising to lead a Socialist Party desperate to win but riven by rivalries and the scandal surrounding a putative candidate, Dominique Strauss-Kahn.

After ceding the nomination in 2007 to Ségolène Royal, his partner at the time, who lost badly to Mr. Sarkozy, Mr. Hollande prepared to run against Mr. Strauss-Kahn, once considered a shoo-in, and then against Mr. Sarkozy. Mr. Hollande split with Ms. Royal, the mother of their four children, and says he has found happiness with a journalist, Valérie Trierweiler, now 47, a mother of three, who divorced her husband, an editor, after an affair that Mr. Hollande’s biographer, Serge Raffy, said began in 2005.

Mr. Hollande went on a tough diet, hardened his positions and his character, bought stylish eyeglasses and mapped out a campaign of moderate change coupled with reassuring rhetoric. He has stayed the course in his yearlong campaign, rarely inspiring passion, but accumulating credibility and a competitive edge.

Both were on display in his first major campaign speech in mid-January, which won plaudits even on the right. “I am ready,” he said then, but had to prove it. His toughness was on display again in the single televised debate last week, a showdown with Mr. Sarkozy.

Both men were aggressive and well prepared, but Mr. Hollande gave no quarter. As if to disprove the accusation that he was too soft, he was sometimes rude, often interrupting Mr. Sarkozy and throwing him off stride.

Even Alain Minc, one of Mr. Sarkozy’s closest friends and advisers, said that Mr. Hollande had done well. “I think we all underestimated this guy,” Mr. Minc told Reuters. “He’s shown quite an uncommon strength of spirit this year. The François Hollande we are seeing today is different from the one we all knew. We took him for something other than he is. Either we were wrong or he has changed.”

Mr. Sarkozy said afterward, “Don’t think that I felt Mr. Hollande was just gentle and kind.”

Born in Rouen, Mr. Hollande’s father, Georges, a doctor, was an angry, distant man who was faithful to Marshal Philippe Pétain, the chief of the Vichy state, disliked de Gaulle and despised what he called “the Resistants of the last hour.” He supported the far-right National Front.

In his campaign book, “Changer de destin,” Mr. Hollande says that his father’s ideas, “contrary to mine,” forged his politics. “Going against someone you love undoubtedly educates you,” he wrote, and despite everything he has kept his ties to his father.

His mother, Nicole Tribert, was described as warm and giving. Her politics leaned left, and her interest in Mr. Mitterrand piqued Mr. Hollande’s interest. François and his older brother, Philippe, grew up modestly, and Philippe took 1968 to heart, becoming a jazz musician. Their father, however, saw the riots of 1968 as a precursor to a Soviet invasion, and suddenly moved the family to Neuilly-sur-Seine, the wealthy Paris suburb where Mr. Sarkozy also grew up.

Mr. Hollande was an excellent student, attending some of France’s finest schools — the law faculty of the University of Paris, then the Institute of Political Studies (Sciences Po), then the HEC Paris business school, and then the holy grail — L’ École Nationale d’Administration, which trains France’s political and business elite of the right and the left.

He soon went into professional politics, becoming an aide to Mr. Mitterrand (while Ms. Royal was a junior minister), growing close to his other idol, Jacques Delors, a former president of the European Commission, and serving as spokesman for Lionel Jospin, then prime minister. Never a minister, Mr. Hollande struggled to hold on to a parliamentary seat he first won in 1988 in rural Corrèze, the fief of Mr. Chirac, who once suggested that Mr. Hollande was “less well known than Mitterrand’s Labrador.” He lost the seat in 1993, but persevered once more, winning it back in 1997 and becoming president of the regional council, while running the Socialist Party from 1997 to 2008.

In Saturday’s Le Monde, Mr. Hollande said that socialism had progressed beyond the revolutionary aspirations of the 19th century. “The left should embody grand hopes, but it must not reduce itself to grand moments,” he said. “I want to initiate a transformation of society in the long term.”

His first task, however, should he win, is “to be the president of the exit from crisis,” he said. “Progress is no longer an ideology, but it remains a fertile idea. I am a militant of progress.”
by shin-yamakami16 | 2012-05-03 21:05 | Comments(0)