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by shin-yamakami16

英国便り(11) ブレアからブラウンへ

ブレア時代の終焉と今後の英国
    │││ブラウン政治にどこまで期待可能か?
                                 山上 真 

 丘陵を埋め尽くす黄金色の菜の花の季節が終わったかと思うと、今度は草原の緑を圧倒するように真っ赤なポピーの花が勢いを増している初夏の英国では、六月下旬から七月にかけて集中的な豪雨に見舞われました。この為、ミッドランド、ヨークシャーなどでは、百年ぶりと言われる洪水被害を蒙り、五人の死者と、床上浸水などによる三万戸の住宅、七千の事業所の被害を出すことになりました。イングランド中部の都市シェフィールドは、高速道M1など周辺の全ての道路が不通になり、文字通り「陸の孤島」となりました。ハルでは十日後になって漸く水が引く始末で、浸水した住宅に戻れるのはクリスマス頃と聞いて、当面の住いの当てもなく泣き伏す二児の母親の姿など、見ていて遣りきれません。総被害額は十五億ポンド(約三千七百六十五億円)に上ると推定されています。

 過去十年間に渉って英国を支配してきたブレア政治が漸く終わりました。未だ五十代半ばのブレア氏が、その意志に反して、何故首相の座を年上のブラウン氏に譲らなければならなくなったかということの説明が公式に無いまま、この所メデイアだけが喧しく「ブレア時代」を回顧し、その功罪を論じています。例えばBBC RADIO5は、その時々に流行した音楽を背景に流しながら、ブレア首相の政策演説を肯定的に、時に批判的に紹介していました。大概のメデイアは、希望に充ち満ちて出発した政権が、二期目、三期目と重なるにつれて、憂色の漂う雰囲気に変化して行く様を詳述していました。若干の弱さや誤りがあっても、五割以上の国民の支持を得て安定した政権を築いてきたブレア氏が決定的に冒した過ちは、他ならぬ「イラク参戦」でした。二〇〇三年、米国のブッシュと共に、有りもしないイラク「大量破壊兵器」保有説に飛びつき、まっしぐらに戦争へと突き進んでいった同氏は、最後の議会討議の冒頭で、最近死亡した幾人かの英国兵士について今も猶報告し、哀悼しなければならない苦渋を痛切に味わった筈です。
 最後の議会では、ブレア首相に対する、いつもの激しい質疑は影を潜め、保守党党首キャメロンさえも、ブレア氏の「目覚ましい業績」に賛辞を贈ったほどですが、そんな雰囲気の中でも、「イラク」に関する幾つかの質問が提起され、労働党左派ジェレミー・コービン議員が、英国軍の「イラク撤退時期」を明確にするように求めたことに示されるように、首相任期の最後まで、「イラク」が尾を曵いた形です。
 ブレア氏の成し遂げた衆目一致の業績は「北アイルランド問題」で、不倶戴天の敵同士であったプロテスタント・民主統一党(DUP)とシン・フェイン党(旧IRA)の和睦に成功したことですが、これも、イラク参戦という「大罪」の前では霞んでしまう、というのが大方の見方です。ブレア政権誕生から十年目の五月一日、インデイペンデント紙は、同氏退任後も憑いて回るレガシ(遺産)はイラク戦争であると考えている英国人が、六九%に達することを伝えています。
 七月一日には、十年前に不慮の死を遂げたダイアナ妃の誕生日を祝う大コンサートが、六万二千の観衆を集めて新装ウェンブリー・スタジアムで開催されましたが、二日前に車爆弾がロンドン中心部で発見され、その後相次いでグラスゴー空港での火炎車突入、リバープール空港での車爆弾発見と続き、発足したばかりのブラウン政権は、テロ警戒度を最高レベルまで引き上げるといった事態の、真只中の一大イベントということになりました。翌日の新聞は、コンサートのホスト役を務めたウィリアム、ハリー両王子の写真と並べて、火炎に包まれた空港フロントの様子を掲載しておりましたが、共に悲劇に繋がる英国の現実を想起させないわけにはゆきませんでした。

 失政ブレア政権を、待ちに待って漸く引き継いだゴードン・ブラウン氏は、渾名「スターリニスト」に相応しい閣僚人事に打って出ました。前政権の二十三閣僚の内、続投するのは、僅か一人(デス・ブラウン国防相)という有様です。これは、支持率が二〇%台まで落ち込んだ労働党政権を立て直して、次期総選挙後の政権を確保する為の起死回生の策に他なりません。「ブレアライト」の無能閣僚とされたNHS担当ヒューイット、外相ベケット両女史など全て切り捨て、大胆に党内有力新人、外部有力者を登用し、国民の支持を回復させようとする狙いでした。
 新内閣発足後の四つの世論調査によれば、全てで労働党が四~七ポイント程保守党を上回り、最高四〇%の支持率を獲得しておりますので、ブラウン氏の作戦は取り敢えず的中というところです。こうした成り行きから、一部に今年末の「スナップ・エレクション」(抜き打ち総選挙)の可能性を公言する向きもありますが、ブラウン氏本人は「国民の為の政策を実施することが大事だ」として、BBCテレビ番組の中で、その可能性を否定しています。
 ブラウン氏が政策の中で最も優先させるものの一つとして、戦争行為、国際条約など重大な案件の決定権を政府から議会に委譲する、ということを提起しました。これは何よりも、英国のイラク参戦が、ブレア氏の主導権の下で決められ、国民の大きな不信を招いてしまったことによるものとされます。国民の「トラスト」獲得には、巨大過ぎる首相権限を縮小させる必要があるという認識は、ブラウン氏が長らく温めてきたもののようです。
 こうした新政権を、例えば、労働党支持ながらブレア政権に対する厳しい批判を続けてきた『ニュー・ステーツマン』誌は、「新時代」の到来として手放しで歓迎しておりますが、問題山積のNHS,「アカデミー・スクール」など医療、学校制度の民営化路線を維持することや、莫大な資金を要するIDカード計画の推進、殆ど連日戦死者が出ているイラク、アフガニスタンでの戦争政策の継続を表明していることから見ても、ブラウン政権を高く評価することは早計と言わざるを得ません。
 新政権発足の翌日、ブレア時代特有の事件と思われていたテロに早速見舞われたブラウン首相は、緊張この上ない面持ちで国民の注意と団結を呼びかけました。今度のテロは未遂に終わったものの、中東、インドなど出身の六人のNHS勤務医師・看護師が企てた犯行として英国社会に衝撃を与えました。この内の一人は、バグダッドでの医学研修中に起こったイラク戦争に激しい憤りを抱き、英国入国後も過激化して行ったことを告白しています。更には、一九八八年の発表直後にイスラム教徒の憎悪を掻き立てた『悪魔の詩』の作家サルマン・ラシュデイ氏に、最近、英国王室が「ナイト」の爵位を与えたことが、今回の一連のテロ事件のきっかけとなったのではないか、という憶測が夙(つと)に為されています。
 今こそ、ブラウン新政権の真価が問われているのですが、相変わらず、首相、そしてジャッキー・スミス内務相は「テロに屈することなく団結しよう」という訴え一点張りです。ここには、ヨーロッパで、特に英国が何故テロの標的になっているのかという単純な疑問に何ら答えられない、ブレア時代からのデイレンマが見て取れます。アフガニスタン、特にイラク、その後のレバノン、最近のパレスチナ、それぞれの情勢に英国外交が米国に追随して自主的な対応が出来ず、多くが水泡に帰しているのですが、この失敗を決して認めようとしない態度は「ブレア・レガシ」そのものなのです。
 もう一つ、ブレア時代の「負の遺産」の最大のものが、英国の軍需巨大産業BAEが英国政府承認の下に、約四百三十億ポンド(十兆五千億円)と言われる、新鋭戦闘機など兵器受注契約に関連して、サウジアラビアのバンダル王子に十億ポンドを超える賄賂を贈ったという問題です。不正取引調査委員会(SFO)は早くからこの事件を察知し、捜査を開始したのですが、法務長官ゴールドスミスが中止させたということです。これには、ブラウン氏も当時の蔵相として、事情を熟知している筈です。この問題を、BBCドキュメンタリー番組『パノラマ』が取り上げ、ガーデイアン紙も連日キャンペーンを続けています。現在も英国当局は沈黙を守っているのですが、パリに本部を置く経済協力開発機構(OECD)が重大な懸念を表明し、調査を開始しています。最近では、米国司法省などが究明に乗り出しており、成り行きによっては、英国政界に激震を齎(もたら)す恐れがあります。
 
 七月四日のファイナンシャル・タイムズ紙(FT)は、『分析』欄の一ページ全面を割いて、安倍首相の眉を顰めた表情と、A紙の最近の世論調査での内閣支持率二八%を示す折れ線グラフと共に、「安倍氏は万事休すか」という見出しで、副題は「日本の失言続きの政府は選挙で袋だたきに遭いそうだ」とする政治分析記事を掲載しました。先ず自民党高知県参議院議員候補者が、「安倍氏が応援に来ること自体が頭痛の種だ」として、この儘では自民党が大敗北し、自分も落選する、とこぼしています。政治評論家森田実氏は、「宇野内閣が一九八九年に敗北した状況と酷似しており、自民党は今や戦意喪失状態だ」とし、その根源に安倍首相が一般庶民感覚を理解できず、まるで天から見下しているような「貴族的」性格があると語っています。次に谷垣前財務相は、「イデオロギー過剰」の安倍氏が小泉時代の経済格差拡大路線を引き継いでおり、「自民党が次の選挙で勝てる見込みはなく、その責任を誰かが取らなくてはならない」と結んでいます。更に、米国コロンビア大学のジェラルド・カーチス氏は、「年金茶番劇」を、ブッシュ政権にとっての「カトリーナ台風」に喩え、安倍氏の転落が「不運」による面があることは確かだが、「嫌みな本能を持つ嫌みな政治家」であることを皆が既に嗅ぎとって、氏の主張する「憲法改正」、「愛国心教育」よりも、経済生活、保健問題に関心を抱いている結果だとしています。
 FTは、安倍政権が発足した直後に、その「右翼的性格」を危惧する英国他紙とは際立った違いを見せ、この政権の「市場原理」優先的姿勢に賛辞を贈る論評記事を大きく掲載したのですが、日本の政情の余りの変化の激しさに驚き、流石に気が引けたのか、慌てて「修正記事」を認(したた)めた、というところでしょうか。

 フランス大統領サルコジの登場、東欧での米国ミサイル配備問題などをめぐってのロシア対欧州・米国の対立など、新たな危惧の種が生れていますが、叉の機会に譲りたいと存じます。

           [追記]
(一)今年五月のスコットランド議会選挙で、イングランドからの分離独立を目指すSNPが僅差ながら初めて勝利しましたが、他党が全て独立反対の為、前途多難というところです。
(二)ブラウン内閣の安全保障相アラン・ウエスト氏(元海軍総督)は、七月九日、英国はイスラム圏からのテロの脅威に、今後十五年間曝されるだろうと語りました。
(三)ブレア前首相の報道官だったアレスター・キャンベル氏が、最近の著書の中で、トニー・ブレアは殆ど全ての閣僚が疑問視したにも拘わらず、イラク戦争に突入していった、と暴露していることが明らかになりました。
(四)ブレア氏が首相退任直後に、米国ライス国務長官の根回しで中東和平「特使」に任命されたことについて、同氏のこれまでの言動から見て「笑止千万だ」(モーガン前デイリー・ミラー紙編集長)という声が一般的です。
(五)日本で、中央と地方の格差が問題となっておりますが、英国でも、衰退が進むイングランド北・中部(リバープール、ニューカースル、バーミンガムなど)と、好況に湧く南部(レデイング、ブリストル、ケンブリッジなど)諸都市の経済格差が拡大し、政府の対策が後手に回っている実態を、研究機関が指摘しました。
(六)ブレア前政権が推進してきた、「スーパーカジノ」をマンチェスターに建設する計画を事実上撤回する方針を、ブラウン首相が明らかにしました。経済効果を当てにしていた現地の失望・怒りの声の一方、「流石牧師の息子だ」と賞賛・歓迎する声が挙がっています。
                            (2007年7月15日)
by shin-yamakami16 | 2008-05-05 21:12 | Comments(0)