ジル・ダンドー射殺事件と冤罪8年
2008年 08月 05日
権威失墜のロンドン警視庁
山上 真
1999年4月、筆者が英国南部の学校で日本語を教えていた頃の話である。いつも見ているBBC・TVの花形キャスターが勤務から帰って、入ろうしていた自宅アパートメントの玄関先で、背後から一発の銃弾を頭部に受けて殺害されたという事件は、射殺事件は珍しくないにしても、衝撃的であった。
ジル・ダンドーさん
事件の目撃証言は得られず、物的証拠も乏しく,捜査は困難を極めた。ジルさんが ‘Crime Watch' という番組を担当していたことから、番組で取り上げた事件関係者の犯罪プロがやった仕業とか、当時始まったNATO軍による「コソボ戦争」と結びついた政治的背景を持った事件、というような憶測が為されたが、決め手は無かった。
当然のことながら、手っ取り早い方法として、ジルさんが住んでいたロンドン西部フルハム近辺に住み、犯罪歴を持つ者が洗われた。その中から、1983年に婦女暴行未遂事件で逮捕されたことがあり、その後も、数多くの女性に対してストーカー行為を執拗に繰り返していたバリー・ジョージ元被告が捜査線上に浮かんできた。彼は孤独かつ自閉的な生活を営み、「奇人」として近辺に住む人々から怖れられていたという。故ダイアナ妃に憧れ、彼女の住むケンジントン宮殿に「ナイフを持って」侵入したところを逮捕されたこともあるという話だ。
元被告バリー・ジョージさん
警察が狙いを定めて家宅捜索したところ、夥しい数の女性写真と共に、ジル・ダンドーさんの写真を掲載した新聞、雑誌などを発見して、彼の逮捕に踏み切った。事件から一年後のことだ。しかし,他の証拠品と言える物が殆どなく、後になって警察が提出したのは、バリーのポケットの中に有ったとされる銃弾のごく微細な破片と、彼の衣服に付いていた、ジルさんの着ていたコートの素材・ポリエステル繊維一本だけである。勿論、本人は終始、自分が犯人であることを否定していた。
2001年の裁判では、陪審員の多くがバリー被告を有罪とする評決をして、勾留が続けられたが、陪審員の一人の女性は、バリー被告が犯人であることに強い疑問を抱き、証拠とされる物について再鑑定を求めた。その結果、「銃弾破片」とされるものが、犯行の際に発射された銃弾のものとは限らないことが分かり、証拠能力を失った。また、「繊維」も、全く同種の繊維が、一般に売られている衣料品に使われていることが判明した。つまり、偶々、同種の繊維屑の一本がバリー被告の服に付いた可能性が出てきたのである。
残るのは、状況証拠だけとなった。「彼のような人物が如何にもやりそうな犯罪」ということである。しかし、知的障害を伴い、性格的に「凶暴さ」が目立たない人物が、果たしてジルさんのような女性を「冷酷に」銃弾で殺害できるだろうか、という根本的な疑問が関係者の間で生まれていた。
この8月1日の判決では、陪審員全員がバリー被告の無罪を主張した。原告側も、割り切れない思いを抱きつつも、この評決を受け入れることを表明した。無罪判決は確定した。バリーは8年間の勾留生活から解放された。「信じられない」という言葉を繰り返しながら、法廷を去って行った。
釈放の日から数日して、バリー元被告は幾つかのタブロイド紙のインタヴューを受けて、今後は決して女性に対するストーカー行為をしないことを誓っている。また、差し当たり、気に入ったチームのサッカー試合を見に行ったり、ジャマイカとか,南米に旅行に行ったりしたいこと,いずれ仕事を見つけて結婚したいとも、明るい表情を浮かべて語った。
インタヴューに応じるバリーさん
この裁判は、事件の性格上、大変な注目を集め、人権団体『リバーティ』や、誤審監視グループなどが再審を支援してきた。元被告には、常に心理学者の女性が付添っていた。当然のこと乍ら、妹ミシェルさんなど、家族の支えも大きかった。
妹ミシェルさんと
審理中、常時付添った心理学者スーザン・ヤングさん
この「誤審」についての賠償額は500,000ポンドとも言われ、「バリーは億万長者になった」などと騒ぐ向きもある。一方、捜査当局が要した費用は、この事件捜査と裁判費用を合わせて、1000万ポンド(約22億円)に達している。
その上、ロンドン警視庁は、現在、別の真犯人について何の情報も持ち合わせていない。杜撰捜査のツケは巨大だ。 (2008.08.05)
<写真> The Daily Mail, The Daily Telegraph, The Times 掲載のものである。
by shin-yamakami16
| 2008-08-05 10:55